ふるさとの未来を創る 

株式会社ダンクソフト 
開発チーム マネージャー 
竹内 祐介 


 東京への転勤辞令。退職か、転勤か? 

「 3 月 30 日から東京勤務となります。」 

2012 年 2 月下旬、新卒から 10 年勤めた、徳島に拠点を置くソフトウェア会社からの転勤辞令だった。3 月 30 日は私達夫婦にとって初めての子供の出産予定日でもあったが、会社の決定事項なので拒否することはできない。転勤・出産まで残された時間は 1 ヶ月。東京に単身赴任する、家族で東京に引っ越す、会社を辞める、いずれかに決断するにはあまりにも短い。 

限られた時間の中で、妻と対話を重ね、最終的には「退職」という選択肢に決めた。「地元徳島で夫婦そろって子育てしたい」という想いを最優先した。東京に転勤するはずだった 2012 年 3 月 30 日は私の最終出社日、つまり退職日となった。次の仕事のあては無かった。 

すぐに転職活動を始めた。10 年間プログラマーとして経験を積んできた。次の仕事も探せばすぐに見つかる、そう思っていた。しかし、ハローワークや求人サイトで探しても、なかなか自分の思い描く社風や業務内容の会社が見つからない。もしかして徳島で転職するのは思っていたより難しいのではないかと、焦りが募る。 

 

ダンクソフトと出会い、地元を離れずに東京の企業へ入社 

2012 年 3 月下旬、まだ転職先は決まらぬままだった。そんな中、先に転職した先輩の H さんが「ダンクソフトという会社が神山町でサテライトオフィスの実証実験をしているよ。時間があるなら見学してみてはどうだい」と声をかけてくれた。 

サテライトオフィスというものが何かも分らないまま、何かのヒントになるかもしれないと思い、徳島県神山町の古民家に行ってみることにした。

そこでは、東京から来たダンクソフトのスタッフ 3 人が、東京―徳島をビデオ会議でつないで業務を行っていた。ビデオ会議の向こうにはダンクソフト副社長の渡辺さんが映っていた。

彼らと夕食を共にし、サテライトオフィス実証実験の内容について教えてもらった。東日本大震災以降、東京以外にも拠点を置いた業務の進め方を実験しているとのことだった。新しい働き方にチャレンジしている3人の目は輝き、生き生きと仕事しているように見えた。「こんな働き方もあるのか」。目から鱗が落ちた。 

2012 年 4 月 10 日、出産予定日からは少し遅れたが、無事に長男が誕生した。一方、私の職探しは依然として続いていた。先の見えない転職活動の中、心のどこかでダンクソフトがずっと気になっていた。ダンクソフトは東京の会社で、私はただ見学に行っただけ。私の転職には関係ない、と、勝手にあきらめていた。 

 いや、ちょっと待て。東京と離れた神山町でも彼らは仕事ができていたではないか。それなら実証実験と言わずに、徳島に常駐するスタッフがいてもいいのではないか。 

話だけでも聞いてもらうと、星野社長にアポをとり、東京に飛んだ。この機会を調整してくれたのも前述の H さんだった。自分の望まない形で入社しても仕方ないと考え、本心をそのまま伝えた。だめで元々、である。 

「ダンクソフトで働きたい。でも地元・徳島を離れたくない。」

入社面接なのか直談判というべきか、星野さんとの初めての対話は夕食まで続いた。私の想いに共感してもらえたのではないだろうか。はやくもその東京滞在期間中に、星野さんから内定通知書を頂く結果となった。こうして、1 ヶ月にわたる転職活動は幕を閉じ、私とダンクソフト、東京と徳島のあいだに、新たな結び目が生まれることになった。 

 

1 名が 4 名に。「ダンクソフト徳島オフィス」発足 

2012 年 5 月 1 日、私の入社式が東京と徳島を結ぶビデオ会議上で行われた。ダンクソフト初の徳島常駐スタッフの誕生だ。入社して最初の 1 ヶ月は在宅勤務からスタートし、次に東京研修をへて、最後は東京からスタッフ 3 名が徳島入りしての神山町合宿だった。その 3 名の中には現在ダンクソフト役員である板林さんもいた。私たちは年齢も近く、徳島空港から神山町に向かう車中から話が盛り上がり、打ち解けられたのを覚えている。 

私はダンクソフトのシステムソリューションチーム(現:開発チーム)に配属となった。この頃から同じチームメンバーだった澤口さんとは、 10 年経った今でも業務を共にしている。徳島勤務は私 1 人、他のメンバーはすべて東京勤務だ。遠隔でどのように業務を進めればよいか、最初は誰も要領をつかめていなかった。徐々に業務を共にするにつれ、コミュニケーションや情報共有の方法は改善されていき、それは次第に会社の文化・風土となっていった。 

その間、ダンクソフト徳島オフィスも変化を続けた。前職の同期 M が入社、同じく前職同期の K が入社、さらに若手デザイナー N が入社。発足から 1 年経たぬ間に仲間が 4 名に増えた。徳島で新しい働き方を開拓していきたいという想いに共感してくれたのだと思う。 M は神山町が好き過ぎて徳島市から神山町に引っ越し、ダンクソフト神山オフィスを設立してしまった。 K は育児のため、在宅勤務を主軸とするワークスタイルを確立した。 N の退職と入れ替わりで、第二新卒の O をメンバーに迎え、新人と共に学ぶ経験もできた。多様なメンバーとの連携のおかげで、私 1 人では成しえなかった発展を遂げた。 

 

広がる徳島ネットワーク 

結び目は徳島オフィス内に留まらない。 

神山町とはサテライトオフィス実証実験以降も関係が続いた。徳島オフィスの K は、コンプレックス( KVSOC )内に神山オフィスを設立。また、神山町の活性化に尽力されている O さんをはじめグリーンバレー、徳島県庁の方々の協力もあり、ダンクソフトは定期的に「サテライトオフィス視察ツアー」を開催して、神山を訪問している。sansan、ソノリテ、キネトスコープ、えんがわなど、ダンクソフトと同時期に神山町にサテライトオフィスを開いた企業の方々とも仲良くさせてもらっている。 2017 年にはインターミディエイターが集結して「物語の結び目会議」が神山町で開催された。この会議にはダンクソフトのパートナーである徳島の中川さんと高知の片岡さん、いぶき福祉会の K さんも参加した。 

 次に、ある団体の CMS を構築するプロジェクトは、ダンクソフト 1 社では困難であったが、徳島県内企業の皆さんとチームを組むことで実現できた。ダンクソフト社内としても、企画チーム、Web チーム、開発チームのそれぞれからメンバーを集めた象徴的な協働プロジェクトとなった。 

さらに、私は徳島県の総合計画を策定する「若者クリエイト部会」の委員を担当した。徳島サテライトオフィス創成期を担当した徳島県庁の S さんが推薦してくださった。いちプログラマーが県の会議に出席する日が来るとは。部会長や副部会長はじめ、この部会のメンバーとは現在も交流が続いている。ダンクソフト徳島オフィスの家主でもあるフォレストバンク O さんも、この部会のメンバーなのは面白い縁だ。地方でも結び目の網は広がっていく。 

 

阿南高専との共創プロジェクト 

2015 年頃、星野さんが徳島県南東部に位置する阿南市で講演を行ったのをきっかけに、阿南工業高等専門学校(以後、阿南高専)とダンクソフトは結ばれていく。 

 ダンクソフトの事業に「プロライター育成講座」がある。地域の方々が Web ライティングのスキルを学んで仕事にするという試みだ。2016 年から 2017 年にかけて阿南市でも本講座を実施し、何名もの修了者を輩出した。受講者の ひとりだった久米さんは、縁あってその後、ダンクソフトへ入社することになった。 

さらに、プログラム修了者が Web ライティングの作業ができる場所もあった方が良いであろうと、杉野教授の協力を受け、阿南高専内にコワーキングスペース「阿南高専サテライトオフィス」を開設した。ここはプロライターに限らず、学生、教員、社会人がともに交流し、対話し、共創できる場と位置づけた。「共創プロジェクト」の始まりである。 

 2018 年には、私に阿南高専の非常勤講師の依頼を頂いた。前任の教員が急遽転校することになり、OS (オペレーティングシステム)と情報処理演習(プログラミング)の授業ができる人を探しているとのことだった。私で務まるのか不安ではあったが、学生とコ・ラーニング(共同学習)するまたとない機会と考え、引き受けることにした。 

のちには、授業で共に学んだ学生たちがダンクソフトへの入社を希望し、同僚として同じオフィスで仕事をする仲間になった。地元である徳島に残って働きたい人たちの選択肢を、ひとつ増やせたのではないかと思っている。 

 

協働プロジェクトで、阿南にもっとイノベーションを 

現在進行中のプロジェクトに「 ACT 倶楽部」がある。阿南高専を助成する企業や個人の集まりである ACT フェローシップは、長年にわたり阿南高専への支援を続けてきた。ここにきて、さらに学生と社会人の交流を増やしていきたいという意向があった。これまで何度かトライしては失敗してきたそうだ。このテーマを達成するため、学生、教員、社会人による地域課題解決の場「 ACT 倶楽部」を立ち上げた。 

ACT倶楽部は、阿南高専、ACT フェローシップ、ACT 企業のあいだとなる、いわば出島のような場所だ。ダンクソフトはACT 倶楽部の計画段階から関わっているため、ここを共創とコ・ラーニングのためのよりよい場にしたいという想いもひとしおだ。 

ACT倶楽部全体の調整だけでなく、ダンクソフトのパートナーで、インターミディエイターでもある中川さんと共に、ダンクソフトも地域課題解決プロジェクトに参加している。課題は、古民家を取り壊す際に出る家具を、廃棄せず利活用できないかというもの。世代と世代を結ぶテーマでもあるため、若い学生達と一緒に検討できるのは大変有意義なことだ。 

中川さんには、2019 年頃、徳島オフィスのスタッフ皆が転職して、発足時の私一人になった時、よく対話相手になっていただいた。次は阿南高専の卒業生に入社してもらおう。阿南高専とダンクソフトの結び目を強くしよう。阿南にもっとイノベーションがあればいいね。こんな当時の会話が、今ではすっかり現実のことになっている。 

 

物語を次の世代、次の地域へ 

地元である徳島に残って働き続けたい、私個人のわがままから始まった物語だった。それが、波紋をひろげ、同じく地元で働きたいと願い、実際に働くことができる仲間たちが増えた。これから社会に出る人達の選択肢を増やすことにも寄与している。高専では若者達と共に地域課題の解決に取り組んでいる。描いた物語は、私の想像をはるかに超えて、広がり続けている。 

ダンクソフトと地域を結ぶ取り組みは、2000 年代前半の石垣島や伊豆高原でのチャレンジから始まり、徳島へ続いている。現在は、島根県松江市との交流も深まりつつある。全国の各地域が多種多様に活性化し、時には協働することで、社会・日本・世界がもっと豊かになると思う。 

 

次の世代の若者達へ。 

是非、この物語を継いで、新たな物語を創っていってもらいたい。自分たちの好きな場所やライフスタイルで、共感しあえる仲間達と、やりたい仕事にチャレンジしていこう。それぞれの物語は重なり合い、良質なコミュニティが形成されていくだろう。 

 

2030年:ダンクソフトが支える“ふるさとの未来”

その後、ACT 倶楽部の成功に続けと、全国各地で地域課題解決プロジェクトがいくつも立ち上がった。全国のスマートオフィスに点在するダンクソフトのスタッフたちも、それぞれの地域で、地域を超えた連携プロジェクトに参加している。 

プロジェクトメンバーの情報共有に使われるのは「ダンクソフト・バザールバザール」だ。メンバーの参加意識が向上してエンゲイジメントが高まり、成長を促しエンパワリングする、インターミディエイター・ツール として開発されたものだ。

地域ごと、プロジェクトごとに、“バザール” と呼ばれるオンライン上の場をもち、そこではたくさんの対話が繰り広げられている。行き詰った時は、別の地域プロジェクトのバザールを訪問する。そこにある物語を閲覧した後、その地域の人達と対話し、自分たちの地域の課題解決に向けたアイディアをまた生み出していく。 

今日は全国地域課題プロジェクトの展覧会が開催される。会場となるのは、徳島でも東京でもない。インターネット上に用意されたスペースだ。ダンクソフトが提供するイベント体感オンライン・サービス「 WeARee! 」内にある大ホールに、全国各地からプロジェクトメンバーが集まる予定だ。 

今では、リアルの場で行われるのと同じようなイベント体験が、インターネット上で得られる時代を、WeARee! が実現している。アバターとなった参加者たちは、展示ブース内を移動しながら、AR (拡張現実)で作成された全国各地の趣向を凝らした展示を見たり、交流を楽しんでいる。 

つづく